レバ刺しを食わせろ

思ったことを間違ったまま書いている

今さら言うなよ

僕は実家が京都・伏見なのでその界隈にはよく遊びに繰り出していたのだが、その伏見の、桃山の方に御香宮という神社がある。

確か水が有名で汲みにくる人も大勢いたと記憶しているし、僕の長男のお宮参りも御香宮でやったのだ。

御香宮=ごこうぐうと僕は昔から言い親しんでいたのだが、このあいだ、ラジオかなにかで、

御香宮(ごこうぐう)は正式には、「ごこうのみや」と読むんです」と言っていた。

ついでに、

出雲大社=いずもたいしゃも、

「正式には『いずものおおやしろ』と言うんです」だと。

 

そんなこと、今さら言わないで欲しい。

もうそれで呼ばれ親しんでいたのならもうそれでいいじゃないか。

 

僕は頑にいずもたいしゃと呼ぶし、ごこうぐうと呼ぶことにした記念日を今日と定めよう。

 

わたしの源氏物語 (集英社文庫)

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スーパーファミコンミニになぜ「ジーコサッカー」が収録されていないのか

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当時としては斬新なサッカーゲームである。

カーソルでボールの動きを決め選手を動かしていく革新的なゲーム。

それに加え、出ているチームが20カ国ぐらいはナショナルチームなのに対し、当時ジーコが所属していた鹿島アントラーズをぶっ込んでくるという斬新な設定。

ゲーム下手な僕でもコンピュータ相手に「10対0」で勝てるという戦術性に優れたゲーム性。

そんなジーコサッカーがなぜ今回発売するスーパーファミコンミニに収録されないのか。

それは、

ただ、面白くないからである。

僕はこのカセットをなぜか3つ持っている。

今でも実家にある。

 

ビバ!ジーコ「サッカー」―夢のスーパースターへの軌跡

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夢に見そうさ

人は確実に、死に向かって生きている。

それに抗うことは許されず、日々を過ごすのみ。

今日は何を考えて生きようか。

 

人によって意識の仕方は様々なのだが、僕は完全に意識しはじめている。

そして、確実に一歩ずつ近づいているのだ。

 

土曜日からお尻が痛い

もっと細かく説明すれば、子どもたちが寝静まった後、僕は一人リビングで借りたDVDを見ようとソファに横たわっていた。

横たわった途端、まぶたが重くなり見なきゃという意識に反して少し眠ってしまった。

どれくらいたったろう。

起きてあ、寝てしまった、見なきゃと思いプレーヤーにスイッチを入れ、その間にトイレを済ませようと便座に座った(家のトイレでは小でも座る)のだ。

その瞬間、僕のお尻は激痛を覚えた。

なぜ、今まで、痛くなかったのに、急に痛むのだ。

熟してたのかな。あの、青々としたパイナップルが明くる日急に茶色くなるくらい、僕が寝てる間に熟したのかな。

それにしても痛い。激痛とはこのことである。

その日はやり過ごして、寝ている間も痛みに悶えながら日曜の朝を迎えたのである。

全然痛い。

しゃがむのも辛いくらい。

 

確実に近づいている。

 

【指定第2類医薬品】ボラギノールA軟膏 20g

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ユーメイクミーフィールソーザット

母親(奥さんのことね)が先に亡くなるというのは打撃がでかい。

残された子どもや父親は路頭に迷ってしまう。

生活ができないとまではいかないだろうけど、シチュエーションは違うけど、知り合いの不動産を生業とされている方が離婚をされて親権を父親が取り、成人するまで家事もこなしていたという話を聞いたが自分では考えられない。

エビゾーさんはそれを補う経済力もあるだろうし、問題ないだろうが、自分には考えられないので、やはり、父親が先に死ぬのが理想だなとは思う。

 

ブラックジャックによろしく」を思い出した。

その中で「ガン編」というのがあって、ガンを患った奥さんの心情や闘病、その廻りの旦那さんや子どもたちのそれぞれの葛藤などを本当にうまく描かれた良作だ。今でも読んでは涙している。確かWebで無料でガン編までは読めたはずなので一度見てみて下さい。

 

すごく余談で不謹慎なのだが、とある飲屋さんで乳がんを検査するマンモグラフィーの話を聞いた後、

「へぇー、押し寿司みたいやな」

って言ったらひどく怒られたのもつけ加えておく。

 

 

うまく先に進めない

そりゃ今年で42になるんだし、何かあったっておかしくないじゃないか。

それが例えネガティブなことだとしても、これから先に進むために僕は受け入れなければならない。

って、覚悟をしていたつもりだったのだが、恐らく、自分のことなんだろうとタカをくくっていた部分もある。(3日に1回豪快にハゲる夢を見る)

 

5月に、友人が亡くなった。

僕と同い年なので享年42歳。とても悲しい出来事だったし、他の友人たちもまだ信じられないといった様子で、僕はただただ今も呆然としている。

訃報を聞いたのは僕だった。

金曜日で翌日が休みだったので入院していると聞いていた友人の体調が良ければ見舞いに行こうかなんて思っていた矢先である。

ラインを送っても返事がなく、何か検査でもしているのかと思ってもいたが、どうしても胸騒ぎが収まらないので他の友人に「返事が来ない」とラインを送ってすぐである。

夜に差し掛かる6時過ぎだっただろうか。

当の友人からの着信で出るとお姉さんだった。当然悪いことなんだろうとも思っていたが、まさか死ぬことまでは考えてなかった。

以前から漠然とだが自分が一番先に死ぬだろうと思っていたのである。説明するのがめんどくさいので端折るが、家系的な事情もあり、そうだと思っていた。

青天の霹靂である。

 

その時も電話のときも仕事中だったのだが、その時の時間帯になるとその時のことを思い出してしまう。

その電話の後、仕事をしながら、他の友人たちに連絡をするのが本当に辛かった。言葉がうまく出てこなかった。

もっと冷静に過ごせるのだろうと思っていた。

仕事が残っていたしやりきらなきゃいけない案件だったのですごく時間がかかったけどやり切れた。やり切ったけど、その日のことがすごく頭に残ってしまった。

仕事を終え、自転車で京都駅まで向かう途中も、涙を流し友人のことを思い出していた。それが今でも帰りの自転車に乗るとトラウマのように思い出してしまう。

デスクワークが多いので少しでも時間が空くと考えてしまう。

 

時間が解決してくれると、僕も当然わかっているのだが、まだ消化できない。

訃報を聞いたその翌々日の日曜日と火曜日の2回も彼の田舎に赴くことができ、同行した友人たちはうまく割り切った様子で(そう見えただけなのかもしれないけど)その姿を見て僕もそうしなければいけないと思い、そうしたつもりだけど、うまく笑えているだろうか。

少なからず同じ経験をした方もたくさんいらっしゃるだろう。

どう消化されているのか教えてほしい。

 

ozkkzht.hatenadiary.jp

 

ソリ中

30代前半くらいに、「今の想像力に任せたのではダメだ。これからは数字に強くないと」と一念発起し、とにかく数字に慣れようといろいろやってきた(る)。

 

例えば、車のナンバーを見れば前の2ケタと後の2ケタを足してみるとか、覚えなければいけないことをわざわざ数値化し、記号のごとく記憶してみるとか、数字と仲良くなるために常に一緒にいたり、一緒に酒を交わしたり、時にはベッドに誘われたときもあったし、その時は枕を濡らしたっけ。

 

で、いつの間にかそれが身体に身につき、それまでの想像力で生き抜いて来た自分に反し、要領を簡単だけど、計算して動けるようになったかなと自負している。

 

ASKAの方がまだマシなのかも

小学生の頃は、ファミコンばかりやっていたのだが、年々ゲームなんてやらなくなった。今やっているのも時間があるからなんとなく、というのがほとんどなのだが、ある時、何かを見ていると「ソリティア」がアプリにあったのを発見、懐かしいななんてほんの出来心でダウンロードし始めたのだが、

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どえりゃあはまってやんの。

 

僕はずっとソリティアをやっている。

朝起きて、歯を磨きながら。

駅に着くまでの3分間。

電車の中。

会社に着いて一服しながら。

仕事中。

昼休み中。

仕事中。

残業しながら。

帰りの電車で。

家路に着くまで。

夜ご飯を食べながら。

風呂上がりに。

夜寝るまで。

なぜここまではまってるのか自分でも分からない。

誰か止めて欲しい。

こうやって、ブログを書いている間も、

僕はずっとソリティアをやっている。


ソリティア