レバ刺しを食わせろ

思ったことを間違ったまま書いている

ユーメイクミーフィールソーザット

母親(奥さんのことね)が先に亡くなるというのは打撃がでかい。

残された子どもや父親は路頭に迷ってしまう。

生活ができないとまではいかないだろうけど、シチュエーションは違うけど、知り合いの不動産を生業とされている方が離婚をされて親権を父親が取り、成人するまで家事もこなしていたという話を聞いたが自分では考えられない。

エビゾーさんはそれを補う経済力もあるだろうし、問題ないだろうが、自分には考えられないので、やはり、父親が先に死ぬのが理想だなとは思う。

 

ブラックジャックによろしく」を思い出した。

その中で「ガン編」というのがあって、ガンを患った奥さんの心情や闘病、その廻りの旦那さんや子どもたちのそれぞれの葛藤などを本当にうまく描かれた良作だ。今でも読んでは涙している。確かWebで無料でガン編までは読めたはずなので一度見てみて下さい。

 

すごく余談で不謹慎なのだが、とある飲屋さんで乳がんを検査するマンモグラフィーの話を聞いた後、

「へぇー、押し寿司みたいやな」

って言ったらひどく怒られたのもつけ加えておく。

 

 

うまく先に進めない

そりゃ今年で42になるんだし、何かあったっておかしくないじゃないか。

それが例えネガティブなことだとしても、これから先に進むために僕は受け入れなければならない。

って、覚悟をしていたつもりだったのだが、恐らく、自分のことなんだろうとタカをくくっていた部分もある。(3日に1回豪快にハゲる夢を見る)

 

5月に、友人が亡くなった。

僕と同い年なので享年42歳。とても悲しい出来事だったし、他の友人たちもまだ信じられないといった様子で、僕はただただ今も呆然としている。

訃報を聞いたのは僕だった。

金曜日で翌日が休みだったので入院していると聞いていた友人の体調が良ければ見舞いに行こうかなんて思っていた矢先である。

ラインを送っても返事がなく、何か検査でもしているのかと思ってもいたが、どうしても胸騒ぎが収まらないので他の友人に「返事が来ない」とラインを送ってすぐである。

夜に差し掛かる6時過ぎだっただろうか。

当の友人からの着信で出るとお姉さんだった。当然悪いことなんだろうとも思っていたが、まさか死ぬことまでは考えてなかった。

以前から漠然とだが自分が一番先に死ぬだろうと思っていたのである。説明するのがめんどくさいので端折るが、家系的な事情もあり、そうだと思っていた。

青天の霹靂である。

 

その時も電話のときも仕事中だったのだが、その時の時間帯になるとその時のことを思い出してしまう。

その電話の後、仕事をしながら、他の友人たちに連絡をするのが本当に辛かった。言葉がうまく出てこなかった。

もっと冷静に過ごせるのだろうと思っていた。

仕事が残っていたしやりきらなきゃいけない案件だったのですごく時間がかかったけどやり切れた。やり切ったけど、その日のことがすごく頭に残ってしまった。

仕事を終え、自転車で京都駅まで向かう途中も、涙を流し友人のことを思い出していた。それが今でも帰りの自転車に乗るとトラウマのように思い出してしまう。

デスクワークが多いので少しでも時間が空くと考えてしまう。

 

時間が解決してくれると、僕も当然わかっているのだが、まだ消化できない。

訃報を聞いたその翌々日の日曜日と火曜日の2回も彼の田舎に赴くことができ、同行した友人たちはうまく割り切った様子で(そう見えただけなのかもしれないけど)その姿を見て僕もそうしなければいけないと思い、そうしたつもりだけど、うまく笑えているだろうか。

少なからず同じ経験をした方もたくさんいらっしゃるだろう。

どう消化されているのか教えてほしい。

 

ozkkzht.hatenadiary.jp

 

ソリ中

30代前半くらいに、「今の想像力に任せたのではダメだ。これからは数字に強くないと」と一念発起し、とにかく数字に慣れようといろいろやってきた(る)。

 

例えば、車のナンバーを見れば前の2ケタと後の2ケタを足してみるとか、覚えなければいけないことをわざわざ数値化し、記号のごとく記憶してみるとか、数字と仲良くなるために常に一緒にいたり、一緒に酒を交わしたり、時にはベッドに誘われたときもあったし、その時は枕を濡らしたっけ。

 

で、いつの間にかそれが身体に身につき、それまでの想像力で生き抜いて来た自分に反し、要領を簡単だけど、計算して動けるようになったかなと自負している。

 

ASKAの方がまだマシなのかも

小学生の頃は、ファミコンばかりやっていたのだが、年々ゲームなんてやらなくなった。今やっているのも時間があるからなんとなく、というのがほとんどなのだが、ある時、何かを見ていると「ソリティア」がアプリにあったのを発見、懐かしいななんてほんの出来心でダウンロードし始めたのだが、

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どえりゃあはまってやんの。

 

僕はずっとソリティアをやっている。

朝起きて、歯を磨きながら。

駅に着くまでの3分間。

電車の中。

会社に着いて一服しながら。

仕事中。

昼休み中。

仕事中。

残業しながら。

帰りの電車で。

家路に着くまで。

夜ご飯を食べながら。

風呂上がりに。

夜寝るまで。

なぜここまではまってるのか自分でも分からない。

誰か止めて欲しい。

こうやって、ブログを書いている間も、

僕はずっとソリティアをやっている。


ソリティア

故人に対し、あの時ああすればよかった、こうすればよかったという後悔は、亡くなってから思うものでそれを仏教の教えで業(カルマ)といいます。

 

と、30年前に亡くなった祖父の通夜の際に寺の住職の説教で、うろ覚えが過ぎるので間違っているのかもしれないが、恐らく、そうならないように精一杯生きなさいってことなんだろうなと30年間、常に思っている。

 

ウチの会社の社長は1日の7割ぐらいは何かを探している時間に費やしている

いつも「あの書類がない」「あの原稿がない」と出て行く直前から探すもんだから、時間に守れたことがない。

そんなことに時間を費やすなんて正直バカだと思っている。

 

忘れないためにはどうすればいいのか

かくいう僕もいろいろ忘れがちなので、メモをとったりするのだが、一番忘れないのは「意識をする」ことだと思っている。

よくカッターやボールペンをどこかへやっていたので、意識をしてカッターを持ち、意識をしてボールペンを使うということをすればその時の情景を思い出すから忘れることがすくなくなるだろうという算段だ。

実際100%ではないが、7〜8割は改善したと断言できる。

こうやって書いていても分かりにくいかもしれないので、一体どういうことなのか、その時の様子を実況付きでテキストにしてみたいと思う。

 

今、俺はカッターを持った。持っている。左手に。刃を出した。大胆に3メモリくらい刃を出している。紙を切り始めている。正面から見て左サイドを切った。次は右サイド、上部、下部へと続く。カッターの刃をしまう。ジリジリと音が鳴る。そのカッターを俺は今、自分の席に戻り、おもむろにデスクの上に置く、置くのか?いや、ポケットにしまうのか?ポケットにしまうと見せかけて、デスクの引き出しの中に今しまった。

 

とここまで意識してものを使っている。

 

無駄に疲れている毎日だ。

 

 

NT 軽作業用カッター A?300GRP

NT 軽作業用カッター A?300GRP

 

 

 

なぞる

仕事は何してるんですか?

と聞かれて、

いつも少し言葉に詰まる。

「印刷屋」と答えて「へぇ」で終わったならそれでいいのだが、「印刷?って、何するんですか?」と聞かれたら、すごく言葉に詰まる。

デザイン、といっても、すごくそんな大それたことでもないし、DTPって言ってもそこからまた「?」が続くので言えない。いつも、

「デザインみたいなのをやってる」ととても曖昧な言葉で返すのだが、「えぇーデザインってすごくないですか!」と僕の気持とは裏腹にポイントを上げるのをやめて欲しい。

実際、とても地味な作業ばかりで簡単な名刺も、伝票や、細かいものまで根気もいる作業ばかりだ。たまにデザイン的なものもやることはやるのだが、僕はどちらかというと、本の編集作業とか先述の細かい作業の方が合っているみたいだ。

今日も、

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何かの飾りを延々とクリックしながらなぞっていた。

もっとはっきりしたものなら時間もかからないし、簡単なのだが、支給されたものが印刷物のみでしかもとても薄く、スキャンして濃度を思い切りアップさせてコントラストを付けてから、ひたすらクリックしていたのでとても神経を使う。

この飾りを作成するのに、3時間もかかったのだが、これを使用するスペースは最終印刷物のわずか1割もいかないっていう空しさ。

 

クリックをしている最中、間違ってるんだろうけど、間違ってはいるんだろうけど、「ああ、伊能忠敬の気持ちがわかったわ」と思っていたのはここだけの話にしといてください。

 

伊能忠敬: 日本を測量した男 (河出文庫)
 

 

人も機械も同じ

今日から少しずつ、日常に戻っていこうとまた書き続けることにした。

僕は人間も機械も同じだと思っている。結論だけを延べてしまえば、極論に聞こえるのかもしれないが、類似しているところが多々あるからそう思うのだ。

ずっと使っていないパソコンと毎日使っているパソコンでは故障するのはどちらが早いか。経験している人なら即座に前者と答えれるだろう。

機械というのは常に(ほぼ毎日)動かせている方が長く持つ。

実際僕が働く先で使用しているパソコンで常時使用しているパソコンとOSが古くなり、ほとんど起動していないパソコンで、久しぶりに古いパソコンを起動すると中のHDDがクラッシュしていて起動できなかったという経験が結構ある。

それと同じくして、人はどうだろう。

良く言われているのが、ずっと働いていた人が隠居をした途端、見る見るうちに衰えて来て寿命を迎えたという例を多く聞くだろう。

僕の友だちは、30代半ばになったとき、派遣社員も加味してリストラにあった。

リストラされた後、すぐにでも働き出せれば良かったのだろうが、彼は働か(け)なかった。他人からすると甘えに聞こえるのだろうが、僕も20代前半まで同じ境遇だったので彼の心境が痛いほどわかるし、それに伴って彼に強く言うこともなかった。

他の友だちは彼に対していろいろ言っていたけど、僕は言えなかった。

それが今となっては後悔している。

40代に向かう彼の体はみるみる衰え、週末は畑仕事を手伝っていたとは聞いたが、特に精神的な部分も含め本人でも分からないが衰えていたことはわかる。

2年前に4人くらい集まって食事を共にしたが、その時も黄疸が出ていて、明日から検査入院するとのことだった。

動かせていない体は悲鳴を上げるも、当時、入院と食事改善、入院中、後しばらくは酒を断っていたとのことなので、以後は少しは改善したのだろう。だが、精力的に動いている人とやはり動いていない人の回復の仕方は歴然、彼は少し回復したと感じたところでまた酒を始めてしまった。

「また悪くなれば入院して断酒すればいい」とでも思っていたのだろうか。

彼は本当に死ぬギリギリまで酒を飲んでいた。

最後病院に入ったときにはもう手遅れだったという。

何が彼をそうさせたのだろう。

寂しかったから?

お酒が好きだから?

働きたくても働けなかったから?

自己に劣等感を感じていたから?

彼には帰る田舎もあったし、選択肢としては田舎に帰り、畑仕事を手伝いながらのんびり暮らす生活もあったろう。

それを引き止めていたのは友人である僕らの存在があったからであり、彼もまた未練があったからだろう。

もし、今、誰か知り合いが同じ境遇になったとしても僕はまだ強く言えないのだろうが、同じことを繰り返したくない思いは大きいので、僕の出来ることを考えて手を差し伸べてやりたいと思う。

弔辞

貴方の訃報を知ってから、今まで、呆然としてます。
貴方ともう会えないということがこんなに悲しいなんて、思ってもみませんでした。
19日の金曜日に、貴方に連絡を取ろうとラインを送ったけど、ずっと待ってたんやけど、返事が来ず、既読もつかないから、なんかおかしいなあって思いながら、「生きてるか?」って送って、それでも返って来なかったから、岩崎に「返事が来ない」って送って、ずっと胸騒ぎが止まらなくて、岩崎から返事が返って来たあとすぐに貴方の携帯からの着信があったので、すぐに出ると、貴方ではなく、お姉さんからでした。
当然、良くないことなんだろうって分かってたけど、とてもじゃないけど、僕一人では受けとめられなかった。
みんなはまだ実感がわかないって貴方の実家を訪れたときも言ってたけど、僕は実感がありまくりで、でも、まだ未だに受け入れられなくて、ずっともがいています。
お酒、好きやなあ。でもちょっと飲み過ぎやで。2年前も肝臓悪くしたときに少し自制できてればなあ。その時退院したらご飯行こうなって約束してたのに、守れなくてごめんな。いつでも会えるわっていう気持ちが鈍らせてた。
僕がまだ独身のときはよく2人で飲みに行ったなあ。誘える人がお前だけやったのと、一緒になってお酒飲んでくれる人がお前しかいなかったんや。でも一度も断ることなく来てくれてたな。ありがとう。
一回、お前が寝違えて一日中、からだを動かし辛いのに、少しでもからだひねると痛がるほどやったのに、僕が飲みに誘って、それでも付いて来てくれたな。その時はおもしろがって、不意に名前読んでからだ動かさして「あっ」って痛がってるのみて笑ってたけど、ほんまに痛かったやろうな。ごめんな。でも付いて来てくれてありがとう。マスターも喜んでた。
あんまり多くは語らなかったけど、でも不思議とみんなに好かれてたな。大木の子どもらも、僕の息子もすぐお前になついて遊んでくれてた。今まで色んな人と接して来たやろうけど、僕がみて来た中では、お前をみんな大好きやったことは保証します。誰一人として嫌われてないのは誇れることです。
お父さんが亡くなって、土日は田舎に戻って、家のことや集まりなんかも参加してるって聞いて、なんや僕より立派な大人やなって感心してました。お母さんもおっしゃられてたので、また感心してます。
もう苦しまんでいいし、お酒飲めるな。また。今もずっと飲んでるんかな。たまには我慢しいや。僕らもそのうちそっちに行くことになるし、その時は会いにいくよ。また一緒に飲もうな。
今はほんまに寂しいわ。どうしたらいいのかわからん。
 2017年5月25日
                                 小関一人