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レバ刺しを食わせろ

思ったことを間違ったまま書いている

それはいらない 3

子どもの頃の笑い話で「遠足は家に帰るまでが遠足です」という迷言があったのを思い出す。
今はその迷言が本当の意味を持つことになるとは思ってもみなかった。


あたりは暗闇。直前までくると、どんな障害物があるのかは見えるのだが、月明かりさえも遮断してしまうほどの雑木林、体力を奪われる湿った足場の悪い土、大人の私が命の危険さえも感じているのだから、子どもたちはその恐怖に言葉さえも出ない。
私は友人家族とハイキングに来ていた。
標高もそんなになく、友人の子ども2人は小学生だが、この程度の山なら早々迷うこともないだろうと友人と奥さんと私はタカをくくっていた。私は独身なのだが、自分たちよりかはまだ多少詳しいということでその友人からナビゲートを頼まれ、気晴らしついでに同行していた。


異変はゆるやかに、確実に進行していたのだろう。
友人の奥さんが作ってくれた豪華な弁当に私も含めて相伴させてもらい、ひとしきり子どもたちともじゃれ合った後、昼寝をしていた後だった。
急にあたりの天気は暗くなり、今にも大雨が降りそうである。
急いで山を下りるべきか、天気が回復するまで避難できる場所を探すべきか……
そう悩んでいるうちに一気に雨が降ってきた。ハイキングと言っても、ハイキングコースを整備している山ではない。私たちが子どもの頃、遊びで登った山だ。避難場所や都合の良い小屋などは存在するわけもない。
あたりは一気に暗くなって、雨も激しくなり、時折、稲光りも見える。
焦った友人家族は足早に山を下りようと私を急かし、下り始めるのだが、ぬかるみに足を取られてうまく進むことが出来ない。そうこうしている内に子どもたち、2人兄弟のお兄ちゃんの方が足をくじいてしまった。
この足場に子どもを背負って下りる体力は友人夫婦はないだろう。かと言って私も足場もおぼつかないのに背負っていく自信はない。
一つのトラブルがさらなるトラブルを招き、パニックに陥らせていく。


暗さと雨のせいで私たちを含めたいくつかの轍がなくなっている。登っている時にふざけて道無き道を進んでしまったことを大層後悔した。
とにかくくじいた足をタオルで固定し、少しでも下りられるようにしようと試みる。しかし、子どもたちはすでに疲労と恐怖でその場を動こうとせず、友人はその様子を怒鳴りながらなんとか立ち上がらせようとする。
その子どもの動揺がさらに友人夫婦を焦らせ、どんどん道無き道を進んでいく。辺りは雨の暗さと夜に向かう闇で包まれようとしている。当然携帯も繋がらない。まだ足をくじいただけならまだ良いが、滑り落ちて大けがにならないようにだけするので精一杯だった。


次第に小雨に変わったがそのかわり、漆黒の闇が私たちを包んでいる。こうなったら、下りることもできない。このまま留まって、朝を待つしかないのか、それとも、私だけでも下りて助けを求めた方が良いのか。後者を選択すると、友人家族は何をしだすかわからない。冷静なのは私一人なのだ。
友人は次第に私にその怒りをぶつけるようになる。


「なんで早く下りようとしない!ここにいると子どもたちがかわいそうじゃないか!」

「少しずつでも足を確認したら下りれるんじゃないか!何をちまちましてるんだ!」

「雨が降ることくらいお前なら予想できた筈だ!」

自分のことを棚に上げて、である。もう誰の責任でもないことは友人ももちろんわかっているはずだが、何かを発しないと気が済まないといったところなんだろう。
子どもたちはずっと泣いている。それを抱きしめながら何とか落ちつかせようとしている奥さんは気丈にこういった。

「朝まで待ちましょう。それが一番賢い方法だと思うわ」

「なんでこんな山ごときに朝までいなくちゃいけないんだ!バカげてる。お前たちが下りないっていうなら俺だけ下りて助けを呼んでくる!」

暗闇の中は人をこうまで追い込むのか。山の静けさが余計恐怖を煽る。何もなければ虫たちの声を聞いて、ノスタルジーに浸るのだが、熊はいないとしても、野犬などに遭遇しないだろうか、見えない恐怖というのが常につきまとっている。
風からくるガサゴソという音さえも一つの恐怖にしか変換されない。子どもたちは私たちより純粋で想像力が豊かな分、得も知れない映画のような世界にも迷い込んでいるのだろう。
私は意を決して友人を諌めた。

「お前が冷静にならないといけないのに、なぜわめきちらす?子どもたちが余計怖がるじゃないか!下りるにしても、朝まで待つにしても、もう少し落ちついて俺たちが話し合わないと、もっと大事になるんだぞ!子どもたちに『格好良いお父さん』を見せてやれよ」

最後のセリフは人を焚き付けるために効果的な言葉だと思ったから放った。そして友人は一気に冷めていったのだ。

「……ああ……わかった。俺がどうかしてた。悪かった。時間はあるんだ。みんなで考えよう。」

「そう。あそこにいる奥さんと子どもたちも含めて5人で一緒に考えようじゃないか。良く遠足で『家に帰るまでが遠足です』ってあったろ?まさにそれだよ。家に帰るまで俺も今日はこの家族にいれてくれよ」

スポーツにしても、何にしても団体で何かをすることで一番重要なのは「一体感」と「協調性」だ。いずれもなくして事を得ることはできない。
私たちは時折冗談も交えながら時間が過ぎるのを待っていた。食糧は子どもたちが持ってきたお菓子と、水は一晩過ごすだけの分はある。この日は私と友人家族4人は同じものを食べ、同じ時間を過ごし、同じ気持ちのまま朝を迎えるのだ。
と、ふと上を見上げた時、何か灯りのようなものが見えた。まだ確信は持てない。同時にザザザという人が歩く音も聞こえる。
人なのか、それとも獣なのか、どちらも確信が取れないまま、子どもは押し黙り、今にも恐怖で泣きそうになる。
私と友人は杖代わりに持っていた木を武器にし、音の聞こえる方向を見つめている。
また灯りだ。
間違いない。人だ。なぜここを歩いているのかわからないが、とにかく朝まで待たずに帰れる手だてなのかもしれない、そう思った私と友人は、

「すみませーん!私たちは道に迷ってしまって灯りもなく山に下りれないでいます。助けてくれませんか?」

そう大きな声で言うと、灯りはこちらを照らし、

「えっ、迷ったの?」

というおじさんの声が聞き取れたのだ。
おじさんは私たちの目の前に立った。このおじさんがどんなヒーローよりも頼りになると子どもたちも思っただろう。
私は訳を説明し、おじさんと一つの灯りで下を照らしながら、ゆっくり、確実に下りていった。
どれくらい経っただろう、私たちは下りることができたのだ。
おじさんに感謝しきれないほどの礼を私たちは浴びせ、おじさんも照れた様子で

「良かったね」

とだけ言い残しまた山へと去っていった。
子どものケガもどこへやら、すっかり元気になって歩いている。私と友人夫婦はそれをみて大笑いしている。それを見た弟はもっとほっとしている。

「さあ、家に帰るまでがハイキングだからな。家に帰ろう!」

「おおー!」

恐らく後日談になると大笑いできることになるのだろうが、この日、この時間ばかりは私たち5人は感動に溢れていた。5人は今日という日を共有できたのだ。子どもたちにとっても、それはトラウマにもなるかもしれないが良い経験としても心に残してくれるだろう。

そして友人は最後にこう締めくくった。

「俺たちは5人は明日のウンコまで一緒だからな!」

 

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