それはいらない 7
帰路についていた。
いつものように駅を足早に歩いている。
この時間帯はいろんな人がいて面白い。
飲み会があったのか、酔っているサラリーマン。
旅行に来ている外国人の家族。
別れ話をしているのかうつむき気味のカップル。
帰る前にコンビニで買った缶ビールを片手に黙々と飲んでいる人。
と否応無くみえるその光景にその男はいきなり話しかけて来た。
「ちょっと、聞いていいかな?」
私は怪訝な表情でこの男を見る。すると男は少し考えたようだが私の表情を無視し話し続けた。
「何かこの辺り、タマゴサンドの匂いがしない?」
「タマゴサンド?」
確かに近くにはパン屋さんがある。それがどうしたのだろうか。
「いや、タマゴサンドっていうのはね、あのアミラーゼに包んで言った言葉で・・・」
「アミラーゼ?」
ますます分からなくなる。この男は何が言いたいのだろう。
「いや、くさいってことなんだけど、どこから来た匂いなんだろうね?」
それとアミラーゼはどう繋がるのだろうと思っていたら何となくピンときた。
「ああ、オブラート?」
男は逆に怪訝な表情で私を見る。
「オブラート? ああ、最近ではそう言うの? 私の時代ではアミラーゼって言ってたもんだけどね」
言ってない。というかアミラーゼの方が私にとっては覚えたてといっても過言ではない。過言かもしれないがそういうことだ。
「昔からオブラートでしょ。匂いは分からないから駅員さんに・・・」
「アミラーゼだよ! 少なくとも私の時代は!」
そこを争う気は毛頭ないのだが。
「いや、アミラーゼなんて売ってないでしょ。ほら、そこのドラッグストアにも売ってないですよ」
私は一体、何の話をしているのだろう。すごく不毛な気持ちだ。
「じゃあ、そこに言って聞いてやるよ。」
といって男は私を引き連れドラッグストアのレジの女性に問いかける。
「ああ、アミラーゼ、貰えるかな」
「アミラーゼ?ですか?」
「そう。アミラーゼ。」
「いや、ちょっとそう言ったものは・・・あ、成分として入っているもので、ですか?」
「いや、昔から、粉の薬なんかを、子どもなんかはまずいもんだからなんかセロハンみたいなものにくるんで、飲んでただろう? あのアミラーゼだよ」
「えっ、いや、あの、オブラートのことですか?」
「いつから名前が変わったんだ? 私の時代はずっとアミラーゼだったもんだ」
「いや、そのへんはわたしも存じ上げないですけど・・・オブラートがお要り用なんですか?」
「いやもう、いい! 行こう!」
そう言って私を連れて行こうとしているが、なぜ私がこの男と一緒に動いているのだろう。思考回路が停止している。
男は私を引き連れたまま駅務室へ入る。
談笑に花を咲かせていた駅員達は、突然の訪問に虚を喰らったようで、不可思議な表情で私たちを見つめる。
「あの、どうかなさいましたか?」
一人の駅員が私たちに話しかける。私はともかく、この男のなんとも苦虫を噛み潰したような表情に警戒しているのだろう。
「いや、あそこでよ、匂いがするんだよ」
「匂い、ですか? どのような?」
「なんか、こう、臭いんだよ。異臭っていうの? なあ?」
「いや、私は・・・・」
「どの辺りでですか?」
駅員はなぜか私の話をさえぎって訊ねてくる。
「あの、ドラッグストアよりもうちょっと向こうにいったとこだよ」
「ああ、あのエントランスになってるところですか。一緒について来てもらっていいですか?」
「もちろんだよ。なあ?」
「いや、私は」と、言おうとしたけどどうにもならなそうなのと、この結末がどうなっていくのかに興味もあった。
私と男と駅員の3人は、異臭のあったと言われる箇所へついた。
今はもう異臭どころか匂いもしない。というか最初からそんな匂いはしなかったようにも記憶がある。
「この辺ですか? 今は、特に何もしないようですけど・・・」
駅員はいぶかしげにこちらを見やる。
「さっきまでは臭ってたんだよ。プンプン臭ってたね。だからこの男に声をかけたんだ」
「どんな臭いでしたか?」駅員が私に聞いてくる。
「いや、私はなんにも・・・この人に声を掛けられて。その時この人が『タマゴサンドの臭い』って言ってましたけど」
「タマゴサンド? 確かに近くにパン屋さんはありますけど、そこまで匂いがするってもんじゃ・・・」駅員は男を見た。すると男は、
「『へ』の臭いだよ! 『へ』! イオウっていうの? タマゴの腐ったような臭い」
私はやっとなるほどと思った。しかしここまで騒ぎにすることでもないような気がする。思えば日本人ってやつは細かいことに敏感になるもんだな。
駅員は何となく合点がいったらしくとても納得しながら「あー、タマゴのね、腐ったような。あー、アミラーゼに包んだんですね。」
「!」
私は絶句した。ここにオブラートをアミラーゼと言っている人が2人いる。この空間だけだと2対1でオブラート派である私が少数派になり私が間違っているのではないかという疑念も出てくる。一体どう言うことだ。
すると男が、「オブラートでしょ。駅員さん。 なあ?」とニヤリとしながら私の顔を見ながら言うのだ。