レバ刺しを食わせろ

思ったことを間違ったまま書いている

タバコをやめようか、じっくり考えている

まず、自分のタバコの本分というのがどこにあるのかというのを考えている。

 

その昔、強烈に「悪ぶる」ということをしたかったということなのかもしれない。

大人に対する憧れの対象として、まず近づける事項がタバコだったのかもしれない。

自分が憧れている人がタバコを吸っている姿をみて一様に「格好良い」とおもっていたのかもしれない。

 

特に健康を考えてやめるつもりもない。

経済的に考えて、やめるつもりもない。

 

京都のほとんどの通りは、「禁煙」とされている。

吸える場所と言ったら、「喫煙所」と書かれた公共の場所か喫煙OKのお店しかない。

 

「喫煙所」で、まるでアメリカという大地に君臨していたネイティブアメリカンがスペイン、イギリス、フランスの人たちに追いやられるように肩身を狭くして吸うことが果たして「格好良く」見えるのだろうか。

 

コンビニで一時入手困難になったアイコスはどうだろう。

あの姿を見て「自分も吸ってみたい」と思うのだろうか。

 

挙げ句の果てに喫煙所でアイコスを吸うというこちらからすれば意味の分からないことになっている。いや、そこは普通のタバコ吸おうよって知り合いなら突っ込む。

 

そう、僕は格好良くなりたかったのだ。それは未だ途中だといつも思い知らされる。

タバコを吸うことが「格好良く」なることにどれほどマイナスなのかを思い知らされた時は本当にやめるときなのだろう。

 

それをこれからずっと考えたい。

 

リセット禁煙 (PHP文庫)

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