レバ刺しを食わせろ

思ったことを間違ったまま書いている

それはいらない 1

私は腹が減っていた。
もう、どれぐらいだろうか、1日以上経った気もするし、まだ数時間しか経っていない気もする。
私は歩いていた。歩くという目的しかないまま、何気に人気の無い場所へと無意識のうちにナビゲートしていた。
何の予定もなく、誰と会うということもなく、連休と合わせて1週間休みを取った。
ただ怠惰に暮らしていた。1日、2日と、朝からビールを飲み、腹が減ったらカロリーも量も気にせず、むさぼるように食べ、そして眠たくなったら寝ていた。
4日目だったか。食欲そのものがなくなった。何時なのかも分からないまま起きて、水を一杯飲んだ後、何を食べようかと思案していた時だった。空腹にならない。そればかりか何を食べたい、という欲求まで無くなったのである。
じゃあ腹が減るまで食べないでおこう。
どれくらい食べないでいられるか、そして腹が減った時に食べたいものを食べたときの美味しさが究極の食事なのではないか。
思いつきで決めたことをこれから実行する。別に何かに縛られてるわけでもないし、食べたくなったら食べればいい。
ついでに、さらに美味しさを追究するために外へ出るとしよう。
それが始まりだった。
歩くと言っても、ゆっくり休みながら歩けばいい。でもどうせなら、知らない場所で、知らない道を歩こうではないか。自分の中で決めた小さな冒険心を煽るように私は駅へ向かい、そして初めて見る駅まで着く切符を買った。
いつの間にか電車の中で眠ってしまっていた。目を開けると少し先に海が見えた。海へと歩こう。そう思い駅を後にし、歩き始めた。
暦ではもう初夏になろうかという日なのに、少し肌寒い。これまで外へ一歩も出てなかったせいか、薄着のまま来てしまったことを大変後悔した。そう言えば出る前に見たテレビの予報で私の住むこのあたりは低気圧と高気圧の狭間であると言っていたのを思い出した。それが今のこの肌寒さと関係しているのか分からないが、とにかくこういうことなんだろう。
低気圧と高気圧の間じゃなくて女の胸と胸の間だったら良かったのに。
日本列島が女の胸と胸の間に挟まれている。とてもいいじゃないか。
性欲はある。
と自問自答したその時、私は腹が減ったのだ。
こうなると歩くことさえままならない。もちろん喉も乾いている。人気の無い場所からか、自動販売機さえ見つからない。もちろん何かを食べるというお店すら見つからない。
恐らくこの時の顔はこの場所に似合わない苦悩の表情だったろう。とにかく何か口に入れるものを–––
しばらく歩いていると古い大衆食堂を見つけた。のれんがかかっている。あった−−−これで何か食べて、ビールを飲もう−−−どんなにそれが美味しいものか、どんなにそれが幸せなのだろうか−−−−期待に頭を膨らませながら店の前に来た時に、店から初老の男が出てきた。どうやら店主のようである。なんとのれんをしまおうとしているではないか。
「あの……」
「あ、食べにきたの?ごめんね、今日はもう昼はしまいなんだ」
今の私にとって絶望的な言葉である。辺りを見てもここ以外他に店はない。
「あの……何でもいいんです。今、とてもお腹が減っていて……」
普段一人で店に入って食事もできない私が必死に食い下がろうとしている。
「と言ってもねえ、もう全部出ちゃったんだよね。白飯はあるんだけどね。ごめんね」
「じ、じゃあ、ご飯だけでいいです。ご飯だけで十分です。ちゃんとお代金ももちろん払います。」
あまりにも必死な表情だったのか、店主は渋々承知してくれ店に招き入れてくれた。
ありがたい−−−。本当に泣きそうなほど私は食欲が全てにおいて凌駕していたのだ。
「ホントにおかずないんだよね、ごめんね」
店主は申し訳なさそうに茶碗1杯の白飯と水を差し出した。
「いえ、いいんです。ありがとうございます」
そう言って私は水を一口、いや、一気に飲み干した。
ああ、なんて美味しいんだ−−−−水道水なんだろうか。それでも水に甘みすら感じるこの1杯。私はえも知れぬ幸福感に包まれている。
そして白飯を口の中いっぱいに頬張る。もう口の中に入らないというくらいに頬張る。そのまま出したらいい感じの固さに握られたおにぎりができるんじゃないだろうかというくらい頬張った。
「よっぽどお腹空いてたんだねえ」
「そうなんです。すみません」
ただ、ただ、白飯を無心に食べる私の姿を気の毒だと思ったのか、店主は奥の厨房へ行き、棚から何かを取り出して皿に移していた。
そして、私に声もかけず、そっと店主はテーブルにミックスナッツを置いたのだ。

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