最近気になっていること
100歳以上の人口が京都で1342人なんです。
その中の男女の振り分けは圧倒的に女性が1200人くらいで多いんですけど、1300人ってすごいですよね。僕、38歳ですけど、50か60くらいで多分死ぬんだろうなあなんて思ってるもんですから100なんか考えられない。
ジョージ・サンダースって知ってますか?
イギリスの俳優で、この人、65歳で自殺しているんですけど、その理由が「退屈だから」っていうんです。なんかすごい割り切ってるなあと。生と死をそんなに重んじてないなあというか、もう事前に友人に「僕は65で死ぬよ」って言ってあったというから、さすがにそこまでは僕も割り切れないなあなんて思ったりして。
世界よ、退屈だからオサラバするよ。もう十分長生きした。このステキな糞溜めの中で、君たちが不安に頭を抱えたままにしておこう。せいぜいお幸せに。
っていうのが遺書に書かれていたらしいです。人間って面白いですよね。
「長生き」っていうことが本当に自分にとって幸せなのだろうか、と。京都の100歳以上の人口が1300人で、そのうち、ある程度不自由なく生活している人と、介護が必要な人はどのくらいの割合でいるのだろうか。
100歳ということはその人の子どもが70代、下手すれば80代になるんですから、客観的な見た目、老人が老人を介護している様子が生活の中であるわけです。実際、車椅子に乗っているおばあさんを、娘らしき腰の曲がったおばあさんが押しているという光景を見かけたことがあります。
少し有名な事件で2006年に京都の伏見で起こった介護を知ってますか。僕も何となくしか知らないんで詳しくは調べてもらうしかないんですけど、介護をしていた息子が母親を殺したという事件。この一文だけなら残虐な、母親を殺すなんてっていう事件なんでしょうけど、母親に対して献身的に介護をしていた息子が、睡眠時間も削り、介護に時間を割かなきゃいけない状態になって仕事もクビになり、介護施設に入れるお金もなく、もう食事代さえなくなった状態で選択した方法が心中だったんです。本当は母親を殺してから自分も死のうと思って、母親を殺してから自殺を図ったんだけど、生きながらえてしまった。結局殺人事件ということで逮捕されたんですが、その裁判では殺人事件ながら異例の執行猶予がついたという事件。
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」
裁判での息子である被告の言葉だったそうです。
こういう事件はこれから高齢化が進む社会であながち稀なケースと言うことじゃなくなるんじゃないかって思うんです。自分にも自分に近しい人にも起こりうるケースなんじゃないかって。
で、僕が最近気になったこと。
上記のことをいろいろと考えている時に、老人介護施設というところが多く存在することに気づいたんです。気づいたというより、気になって目につくようになったという方が正しいんでしょうけど。
その老人介護施設の名称ってね、なんかいろいろ見る度エラいことになってるんじゃないかっていう。それでいてあまり固い印象だったらアレだからできるだけ柔らかい名称にしようとかなってるんですかね?「4文字くらいは語呂が良さそうでいいわよ」みたいな。
老人介護施設 せせらぎ
老人介護施設 さざなみ
老人介護施設 かたらい
みたいな(上記の名称は全て存在するみたいです)。漢字にしても良いんだけど、あえてひらがなというのは今の流れなんでしょうか?
「動物なんか印象的だし、覚えてもらいやすいんじゃないかしら ~ I Wonder ~」みたいな感じで、
老人介護施設 きりん
老人介護施設 らくだ
老人介護施設 ぱんだ
みたいな(上記の名称は全て存在するみたいです)。その土地土地でというのは関係なく、ただ印象が動物だとやさしいからみたいなもんなんでしょうね。「老人介護施設 猫の手」というのもありました。借りたいんだろうな。
あと京都で「老人介護施設 海ぶどう」っていう、「ああ、もう国に登録する時にどれもあるから却下されたことを経て」という感がたっぷりなのを見つけた時は当然名前なんてある程度どうでも良いのかなとも思いましたけど。